熊本大学医学部5年 Oさん

 今回の実習先が水俣・芦北地区と聞いて真っ先に思い浮かんだのは水俣病であったが、これまで熊本で医学を学びながらも、水俣病について深く学習する機会はなかった。そこで自己目標を、水俣病を学ぶことを通して、水俣の地域を知ること、特に水俣の医療の現状と課題について理解することとした。事前の地域医療ゼミで水俣病について学習し、初日の資料館で講話をお聞きし、翌日のフィールドワークでも水俣病関連施設を回らせていただいたことで、3日間で水俣病を多角的な視点から知ることができたように思う。

 事前課題の中で、水俣病と熊本大学の関わりを調べるというテーマがあったが、実習先では、原田正純先生のお名前を何度もお聞きした。原田先生は、水俣に何度も足を運び、患者さんのために生涯を通じて献身的な活動をされた偉大な先生である。水俣病を研究された業績はもちろんであるが、有効な治療法が無い中でも最後まで患者さんに寄り添うという姿勢こそ、何よりも大切なのではないかと思う。このことは、終末期医療にも当てはまると考えることができ、有効な治療が提供できなかったら医師としての役割が無い、というわけではなく、患者さんに寄り添うことこそが大きな支えになることがある、ということを学ぶことができた。原田先生のように地域住民に頼られ、そして心に残っていく医師が理想の医師像ではないかと考えた。

 今回の実習を通して「現場を知る、現場から学ぶ」ことの重要性を改めて認識することができた。今回の実習の学びは、水俣に足を運んだからこそ得られたことがほとんどである。実際に水俣に行く前と後では、水俣という地域や水俣病、水俣病患者さんについて違った印象をもった。インターネットで調べた事前学習の段階よりも、実際に資料館を見学し、講話を聞き、患者さんとお会いすることで、水俣病がもたらした罪の深さ、水俣地域社会の崩壊、患者さんの苦しみを痛感した。そして、知らないことで偏見をもつ可能性があること、「差別が公害を生んだ」という語り部さんの言葉を忘れてはならないと思う。特に、小児性・胎児性水俣病患者さんが、夢を諦めなければならなかったことをお話してくださったときの表情は、忘れることはできない。水俣病は60年以上経った今でもこうして私達にたくさんの教訓を教えてくれたが、「水俣病は終わっていない」ということを今回の実習を通して改めて知ることができた。

 また、今回の実習では何度も高齢化というテーマがあがった。高齢化問題に直面している、というが、行政の方や病院スタッフの方から直接お話を伺うことで、切実な課題であることを実感することができた。高齢化が進む地域社会の中で、お年寄りの方も安心して暮らしていけるような医療を提供するためにも、医療従事者同士はもちろん、行政とも連携しながら、地域住民の声に耳を傾けることの重要性が分かった。

 また、実習前まで私は地域包括ケアが具体的によく理解できない部分があったが、実習中に外部講師セッションやフィールドワークの中でイメージをつかむことができ、大変勉強になった。フィールドワークの中では、介護する側も高齢化しており、医療機関を受診する際の足がない、在宅医療を勧めても往診できる先生が少ない、医師の診療科偏在などの課題を耳にした。

 また、医師が患者さんに最も近い存在であるとは限らないため、病院スタッフ、介護施設や支援施設で働くスタッフをはじめ様々な職種の方々と連携をとることが重要であるとも伺った。そのため、地域医療に従事するにあたり、その地域のことはもちろん、患者さん個人・家族の背景まで考えられるような医師が求められると思う。

 早いもので今年は最後の夏季実習となったが、今回は今までの実習の中でも特に実りの多い実習だったように思う。初めて最上級生としてグループリーダーを任され、今までの実習とは置かれた立場の違う、緊張感のある3日間であった。必然的にリーダーシップ、コミュニケーション力、プレゼン力などが要求されるが、まだまだ自分には足りないと痛感させられた3日間でもあった。また、今まで当たり前のように参加してきたこの実習が、本当にたくさんの方々の支えがあって成り立つものであるのかを改めて実感することができた。実習を通して学び、考えたことをこれからしっかり行動にうつしていけたらと思う。最後に、この実習に御協力いただきました全ての皆様に感謝申し上げます。

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